こないだの日曜は、神石高原町の「学校食堂」へ、、、、

“行いが悪かった?“ 
そう、、まだまだ世の中は冬でした、、、。 (朝9時の出発時、町内の温度計はたったの4度、、、上へ上へと登るので、より気温は下がります、、、、) 

午前は「東広島呉道路」―「山陽道をちょこっと」―「フライトロード」ー「フルーツロード」ー「ふれあいロード」と、名のある道を次々に駆けました。
*最後尾のこの聞きなれない「ふれあいロード」とは、フルーツロードのほぼ終点を、世羅町内で上下町方向へと右折します。 この道は初通過となりますが、フルーツロードと同じく近年作られた、広域農道の類だと思われます。 

緩やかな山、緩やかな登り坂、緩やかな下り坂。 
道は上下に左右にうねります。(あっそれで上下町と言うのかも、、、、) 
果樹の棚の高さは見事に揃えられ、綺麗で丁寧に整備された、広大な大規模農園が続きます。 
この牧歌的風景を左右に愉しみながら、爽快にバイクを走らせます。  
(これが暖かい、ポカポカ陽気なら最高なんじゃろうが、、、、この寒さ、、、、残念) 
 
到着した「学校食堂」、、、、、まさに廃校。(夜に1人じゃぜったい来れないな、、、、)
花子さんがいっぱいいそう、、、、(怪しげな雰囲気、、、)
 
 からかなり外れた立地で、通っていた生徒は大変じゃったじゃろうね、、、。 思ってたよりも相当狭いグランド。 あまりにも小っぽけな校舎。 
そんな学校の駐車場になってるグランドでは、ヤギとポニーがお出迎え。 
 
さて校舎に入ろうとすると、お犬様が真正面の階段の、登りきったど真ん中で「涅槃像」
こちらをじろりと一瞥し、再び目がトロ~ン。
入り口ど真ん中での鎮座は、どう見ても入場を拒んでいるようにしか見えない。
まあ噛みつくような顔つきでもないようなので、恐る恐るちょこっと、頭を撫でてから入場、、、、登校? 
 
 きったない古い下駄箱に、靴を押し込み、蜜柑箱に無造作に入れられた、スリッパを取り出して履く。 
廊下の奥には、古い郵便ポストや古い看板等も飾ってあったり、古いオルガンがあったり。
食堂となってる教室に入ると、真ん中にマキストーブが焚いてあって、すぐ手を温めさせてもらった。
教室の壁を見回すと、昭和57年に卒業した生徒の絵や版画、レリーフなんかがそのまんま展示してある、、、、。
普通はしばらく展示して、家に持って帰るはずの作品が、そのまんま壁へ飾ってある摩訶不思議。
と言うか、ここでは30数年の時間が、氷河に埋もれたアイスマンかのように止まっている。 (そう考えるとかなり怖い、、、、、、、)
 
(そう言えば、私の小学校時代は石炭ストーブだったな~。 そうそう年に何回か、真っ黒ピカピカの石炭を、各教室へ配る、「石炭係」が回ってきてました、、、、)
 
”初志貫徹” 食事の選択は分不相応、贅沢にも「神石牛の定食」。 
う~~~~~ん 残念、、、、、硬い。 お味の方もぎりぎりの及第点。
2,000円弱ではこんななもんか、、、まあこうした喰い物に、当たり外れ、ばらつきはつき物。 
今回のは、たまたまのハズレと言う事にしときましょう、、、、。
 
お目当ての神石牛は残念でしたが、廃校の面白さは格別でした。 
必ずしや再訪し 「神石牛での運試し」 をすると思います。
 
帰路は反対方向へ少し登って「備中湖」 のワインディング。 グーグルMAPで研究していた湖畔の道は、走って見ると、思ったよりもけっこう長く続いてました。 愉しめましたが小石や葉っぱがかなりあって、スピードは出してないにせよ気が抜けません。 
このぴりっとした緊張感も、ツーリングでの醍醐味の一つ。
 
高速に乗ってからの気温は、午後だと言うのに7~8度が続いていたので、けっこう身体を冷却してしまう。
寒い時にはお腹から温めるのが一番。 
福山SAでの休憩で尾道ラーメンを喰らい、芯から暖めました。
 
そのおやつ後しばし走ってると、予報では6時ぐらいから降るはずの 雨、、、、、。
ま、、、これが旅。 
雨が平気な「装備」と「気合」を持つメンバーだから良かったものの、もし普通の人間なら、冬モードでの過酷さに根を上げていた事でしょう。
 
懲りずにまた行きましょう。